【南米モン遊記】5日目

①イグアス行きの長距離バス


季節は早春だからか、朝晩は冷える。
寒さで快適とは程遠く、寝たり起きたりを繰り返していると、ようやく明るくなってきた。
日光があると、だいぶ違う。徐々に寒さから解放されてきた。


運転は順調なようだ。予定通り12:30には、目的地に到着するだろう。
その気になれば、今日イグアス観光できないことはない。
しかし、今日はとても休みたい気分だ。
このまったく寛げないバストリップが最たる原因だが、リオでの日本人宿での2泊も、ろくに休めていなかった気がする。
バスの目的地は、フォス・ド・イグアスという街だ。
なんだが、バンドの名前みたいですね。インディゴ・ラ・エンドみたいな。
ここで、簡単にイグアスの滝についてレクチャーしよう。


イグアスの滝は世界3大瀑布の1つだ。
あとの2つは分かるかな。ナイアガラとヴィクトリアだ。
ヴィクトリアは分からないが、ナイアガラと比べると、イグアスは桁違いの規模と迫力だね。
ナイアガラは「キレイだね〜」っていう感じだが、イグアスは荒々しいというか暴力的というか「恐い」という感じだ。
FFで言うリヴァイアサンの大津波なみの暴力だ。
アメリカ人やカナダ人にとっては、ナイアガラより遥かに魅力的のようだよ。


このイグアスの滝、ブラジルとアルゼンチンとパラグアイの3カ国に跨っているが、
実際に観光客が見ることができるのは、ブラジルとアルゼンチン、それぞれの国立公園の中からだけなんだ。
ブラジル側とアルゼンチン側の国立公園はつながっていないので、別々に行かなくてはいけないんだよ。
多くの人は「せっかくなので」ブラジル側とアルゼンチン側、両方を見ていく。
アルゼンチン側の方が、滝つぼの間近まで行けるので、迫力がある。
ブラジル側はやや遠目から全容を見る感じだ。
一概には言えないが、まずはブラジル側から全体像をつかみ、その後にアルゼンチン側から迫る、というパターンが多いのではないだろうか。
(ウキキとあごをなでる)


さて、じゃあ具体的にどうやってイグアスの滝がある国立公園に行くんですか、という話だが、国立公園には長距離バスターミナルはない。
ブラジル側、アルゼンチン側、それぞれイグアスの滝最寄の街があるので、そこを拠点に、行動する。
ブラジル側のイグアスの滝最寄の街がフォス・ド・イグアス。
アルゼンチン側がプエルト・イグアスだ。
ブラジル側、アルゼンチン側ともに、国立公園行きのバスは、この拠点となる街と空港からしか出ていない。
ブラジル⇔アルゼンチンそれぞれの国立公園は隣接しているのに、別国の国立公園にへは直接はいけない。
一度最寄の街まで行かなくてはいけないのだ。
例えば、ブラジル側から滝を見て、じゃあこのままアルゼンチン側からも・・・と思っても、一度フォス・ド・イグアスに戻って、そこからプエルト・イグアスに行き、そこからようやくアルゼンチン側の国立公園へ、というステップを踏まないといけない。
不便だよね。このあたり、さすが南米だよ。ウキー!


こうしてバスは順調にインディゴ・ラ・エンド、ではなくフォス・ド・イグアスの長距離バスターミナルに到着した。


②フォス・ド・イグアス


リオもそうだったが、ブラジルの街の長距離バスターミナルは、中心からやや離れたところにあるようだ。街の中心地へは、市内バスに乗り継ぐ(タクシーでも可)。
先に述べたが、ここまでの長距離バスで白人のあんちゃんたちと顔見知りになった。
このあんちゃんたち、旅慣れているかと思いきや、バスを降りてからスマホをいじりながら、右往左往している。どうやらここからどうしていいか分からないようだ。
文明のリキに頼りきって、事前に下調べをしておくとか人に聞くという、一昔前ならあたり前だったバックパッカーの基本を無視しているようだ。
スマホ1つあればどうとでもなると思っているのは、万国共通かも知れない。
オレはすでに4日間、一切スマホを使っていない旧世代の人間である。


さて、あんちゃんたちを尻目に「ボア・タルジ!(どうも!)市街地行きのバスはどれですか〜?」と観光案内所らしき窓口の人に聞く。あまり英語は通じなかったが、身振り手振りで、どれに乗ればいいのかは分かった。


バス乗り場に向かうと、あんちゃんたちオレに着いてくる。
こうなると若干プレッシャーだ。多分、合っていると思うのだが間違っていたら、オレのせいになる。
若干の不安を抱えながら、それらしきバスに乗り込む。
乗る前に運転手に「市の中心!中心!」と聞いて、うなずくのを確認してから奥に進む。


20分ほどで、問題なく街の中心地にある市内バス乗り場についた。
この街の市内バスは、すべてこの乗り場から発車している。
見れば、一目瞭然だ。


イギリスから来た3人組の背が高いあんちゃんたちは、
どうやらオレと同じホステルのようだ。
今度は、彼らが道を聞いてくれたので、着いていくことにする。
なんだかんだ、このブラジルというデンジャラスな国で、道連れがいるのは、心強い。
しかも3人とも屈強な身体つきで、身長は190近くあるだろう。
頼もしいこと、この上ない。


オーストラリアから来たという20歳くらいの若者は、別の宿なのでここでバイバイだ。
別れ際に、1冊のペーパーバック(本)をくれた。
「昨日話した、お勧めの映画の原作だよ!旅の途中で読み終わったから、
良かったら読んでくれ」
多分、読まないと思うけどありがたくもらっておいた。
なかなかの好青年だ。
若いからだろうか、身なりもサッパリしていて、日本人の旅人によくある不潔さが微塵もない。


たどり着いたホステルは、なかなか素敵なところだった。
敷地が広くて、そこそこキレイで、中庭にプールもあって。リゾートという感じすらする。
受付も広く、フロント係の対応も丁寧だ。身なりもキチっとしている。
最初にパスポートを提示して、宿泊内容を確認し、支払いを済ませ、領収書をもらう。
そして笑顔で「Thank you. Enjoy your stay. If you have any problem, let us know.」
実に正しく、美しい対応だ。
日本人だから形式にこだわるのかも知れないが、こういうのがあるのとないのとでは、信頼度が大きく変わる。ここでの滞在は安心できそうな気がした。


イギリス人のあんちゃんたちに「どうすんのか」と聞かれた。
「今日はここでゆっくりして、ちょっとだけ街の散策でもするよ。キミたちは?」
と返すと、
「そうだな。まずはシャワーを浴びるよ。あのバスは本当にひどかった。臭かったし」
そこでイエス、イエスと共感した後には
「And then, of course masturbate! HA HA HA!」
とゲラゲラ笑ってた。そこは同調しなかった。イギリス人は、比較的下品な民族かも知れない。


オレは今回は一人部屋だ。広い!そしてパーソナルスペースがこんなに快適とは思わなかった。最高だ。
もう残りの旅、全部ここでもいいとすら思えてきた。
テンションがあがってきたので、街に繰り出したかったが、いくつかやることがある。
まず、洗濯だ。これが思いの他、時間がかかった。
もちろん手洗いなのだが、手洗い桶などあるはずもない。洗面所で水を溜めては、
一枚ずつ洗う。あまり水浸しになると気持ち悪いから、はねないように気をつける。
干す場所もない。仕方がないから、いすの背もたれとか、部屋の中の空いているスペースを1箇所ずつみつけて、置いていった。


次に、Eチケットのプリントアウトだ。リオ→フォス・ド・イグアスはバスだが、
アルゼンチン側から滝を見た後、ブエノスアイレスに移動する時は、飛行機を使うことにしていた。
多分プリントアウトがなくても大丈夫だと思うが、念には念を入れたい。
しかし、どうやってプリントアウトしたものか分からないので、フロントに聞いてみた。


最初に対応してくれた時から思っていたのだが、
このフロント係の青年見た目も言動もすこぶるスマートだ。
スラックスにシャツという小奇麗な格好の上、若き日のカカーみたいな顔立ちをしている。
「そこのPC使って、プリントアウトしたいページ出しなよ」と有料PCをタダで使わせてくれる。
そしてオフィスのプリンターとつなげて、出力してくれた後に、「Alright?」と軽くウインクした。
こいつモデルとかできるんちゃう?と思った。


ついでに、この街の地図をもらい、イグアス行きのバスの乗り方や、
アルゼンチン側の滝観光の拠点であるプエルト・イグアスへの行き方を教えてもらった。
こちらから聞いていないのに、「アルゼンチン行く前に、両替した方がいいよ」と
アルゼンチン・ペソへ両替できる場所を教えてもらった。スーパーやお土産屋も教えてくれた。


ブラジル人はほとんどがサルみたいだ、というのは悪い幻想である。
教養があるブルーカラーは、陽気だけど知的で紳士的だ。目鼻立ちも凛々しい人が多い。
どちらかというとリオの日本人宿のオーナーや旅人の方がサルみたいだ。


ともあれ、これで最低限の支度はOKだ。あとはWiFiがつながればLINEとかフェイスブックとかのチェックをしようと思った。
つながらなければそれでもいと思っていたが、普通につながった。
まずフェイスブックだが、ブエノスで予約した日本人宿から何時の飛行機で着くのか教えて欲しいという連絡が来ていた。
日本人宿やめようかと思ったが、今更キャンセルして新しいところ探すのも面倒なので、ちゃんと返信した。
それから、リオの日本人宿のオーナーから宿について「いいね!」を押してくれ、という催促が来ていた。
我ながら器が小さいと思いつつ、今日に至るまで押していない。
そもそも「いいね!してくれ」っていう催促自体来たことがはじめてだ。客への気配りはないのに、自分の評判には敏感らしい。そこも微妙に反発を覚える。
異国にいることによる適当さと、日本人ならではの神経質さのハイブリッドと言えよう。


続いてLINEだ。これは、思ったよりも連絡が連絡が来ていた。オレ、そんなに友達いないのに、こんな時に限って・・・と思いつつ、要返事のものは1つ1つ丁寧に返していく。オレは気配りができる日本人なのだ。
会社の後輩からもいくつか私用の連絡が来ていた。一緒に東京マラソンに申し込んだ後輩たちは外れたようだ。
おお、もう結果来ているのか、と思い確認したら、予想通り落選だった。これ当たるやついるのかよ。
その他「ひったくりにあってませんか?」という要返事か否かの微妙なものに混じって、「チン毛に指絡まってませんか?」という頭のイカれたものまであった。


オレには約1名、LINEでもフェイスブックでもなくハングアウトでやり取りしている友人がいる。
そこからも連絡が入っていた。すでに5日も前の連絡だが、ちゃんと返しておいた。
オレはこれでもちゃんとした人間なのだ。


会社のメールも見ようかと一瞬頭をよぎったが、やめた。


というわけで、SNSの確認に意外と時間がかかって、レディ・トゥ・ゴー・アウトサイドになったのは、すでに16時を回っていた。
気温は少し涼しいが、まだ日差しはあり、気持ちいい。散策にはもって来いだ。
フォス・ド・イグアスの町並みはリオとはまったく違う。
スラムのようなところもないし、都会的でもない。高いビルも、コロニアルな建築物もない。
ビーチもないし、有名な観光スポットもない、平和な田舎町という印象だ。
排気ガスも少なく、程よく自然があり、治安も良さそうだ。
スーパーや飲食店、土産物など店もコンパクトにまとまっている。


街を歩いていると、ふと、プルーストの言う「無意識的記憶」が刺激され、形容しがたい心地良さが自分を支配していた。
何かと思っていたが、川沿いの風景を見ていた時に、「あっ」と気づいた。
ずっと昔、もう25年以上前、オレはアメリカの地方都市に住んでいた。
アトランタというメトロポリスの衛星都市で、のどかな田舎町といっていいところだ。
そこと同じ雰囲気なのだ。
取り立てて目立った建物はないが、生活に必要な物資は十分そろっている。
住宅には広い庭があり、住人は裕福そうだ。
おそらくこの街の住人は、中産階級以上だろう。


そう思って街中を歩いてみると、リオも含め、街の造りや一般的な建築物はヨーロッパよりアメリカに近い。
随所に歴史的建造物を残しつつも、南米はアメリカの文化圏なんだな、と思った。
一番力を持っている通貨がUSドルということも道理だ。


ところで、リオからイグアス行きのバスに乗ってから、スナック以外、何も食べていない。
思案した結果、肉を食べることにした。結局のところ、南米で食べるものといえば、
肉以外に思いつかない。(フルーツがあまりないのは想定外だった)
そして・・・懲りずにシュラスコに再チャレンジすることにした。
ガイドブックに、1000円で食べられるシュラスコの店が載っていた。
店は簡単に見つかった。「ホントに1000円でいけるんかいな」と思って店の人に聞いた。
だって、リオで食べたときは、3000円以上したんすよ。怪しいじゃないですか。
聞いたらホントにいけるそうだ。
どうしてこんなに価格が違うんだ、と思いながら店に入る。
店の造りは確かに安食堂って感じで、洒落っ気はない。
しかし、1人で食べる分にはその方が良い。
サラダバーの種類は、リオの店と比べたら少ない。
少ないが、それは比較したらの話で、必要十分だ。
大体そんなに食べられない。
代わりに食後のコーヒーがタダだ。こちらの方が嬉しい。
肝心の肉は、まったく遜色なかった。遜色ないどころか、こっちの方がおいしいくらいだ。
庶民的な店なので、場違いだと感じることもないし、店員も堅苦しくないので、テキトー居座っても嫌な顔はしない。
というわけでブラジルに到着して、はじめてくらいの満足のいく食事を堪能し、「シュラスコ最高!」と思いながら店を出た。
宿も食事も、この街は最高だ。


食事は割と早い時間だったので、土産物を見ることにした。
おそらくこの旅で、じっくり見ることができるのは、今日とあと一日くらいだろう。
土産物屋で、南米に来てからはじめて、「マテ茶」を目にした。
実は飲むサラダこと「マテ茶」はこの旅の、密かな目的の1つだった。


バルセロナの某南米系の選手がマテ茶を飲んでいたのを見たから、だけではない。
そもそも今回の南米行きのきっかけの1つは、筒井康孝の「旅のラゴス」という小説を読んだことにある。この小説の舞台は架空の大陸だが、南米を彷彿させる。
そして、登場人物たちは、非常によくマテ茶を飲むのだ。
調べてみると、アルゼンチン、ウルグアイ、チリなどでは、小説よろしくいたるところで四六時中、あの不思議なカップとストローでマテ茶を飲んでいるそうではないか。
マテ茶好きの自分としては、そんな光景に惹かれないわけがない。


それがブラジルに到着してからここにいたるまで、マテ茶を飲んでいる人も、マテ茶そのものもまったく目にしなかった。
確かに調べた限りでは、「アルゼンチン、チリ、ウルグアイなど」という表現が多く、ブラジルには言及していない。
しかし思い出して欲しい。「太陽のマテ茶」のCMで、キングKAZUが「ブラジル時代は肉、マテ茶、肉、マテ茶でしたよ」とかぬかしていませんでしたか?
コカ・コーラとKAZUが俄然信用できなくなった。
みなさん、KAZUはウソついてますよーーー!ブラジル時代にマテ茶なんて飲んでませんよーーー!!


そんなわけで、ようやく巡り合えたマテ茶、ここぞとばかりに、容器(グアンパ・クイア・ポロンゴなどという)とストロー(ボンビーリャ)と茶葉を2セットずつ買う。
茶葉は何種類かあって、分からなかったが、英語の通じない店員に
「Mate? Mate?」と聞いて、うなずいてくれたものを買った。
今思えば、使い方も分からないのに、よく2セットも買ったもんだ。
しかも容器とボンピーリャは、意外と高い。
このマテ茶の茶葉、そもそもイグアスが産地らしい。
それなのにレストランにもカフェにも、マテ茶は置いていない。
アルゼンチンに行けば、多少は見かけるかも知れないが、この分だといたるところで飲んでいる、というのは誇張だろう。少しがっかりした。


そろそろ、あたりは暗い。いくら治安が良さそうでも、夜の一人歩きは避けたい。
あとはスーパーで水だけ買っていくことにした。
スーパーに行くと、長距離バスで一緒で同じホステルに泊まっているイギリス人3人組がいた。酒の買出しに来たらしい。まあ酒が飲める人は普通買うだろう。
「Did you masturbate well?」とは聞かなかった。オレは慎み深いのだ。
話は自然と「明日どうすんの?」という話題になった。
オレはブラジルサイドのイグアスの滝を見て、その日のうちにアルゼンチンのプエルトイグアスに移動する。翌日にアルゼンチン側から滝を見る。そういう予定なのでそう伝えた。
彼らは、明日いきなりアルゼンチン側に行き、そっちで滝を見るそうだ。
宿に「アルゼンチン側から滝を見るツアー」というチラシが貼ってあって、それが格安だから参加する、と言っている。
そのチラシはオレも見た。確かに一見格安だ。しかし怪しいと思ってよくみたら、
「Only transfer(移動代のみ)」と小さく書いてあった。そして、移動代としてみた場合、むしろぼったくりというくらいの価格だ。
そのことを言おうかと思ったけど、やめておいた。オレは慎み深いのだ。
笑顔で「Good luck」と言って分かれた。


受付で、カカーっぽい親切な青年におやすみと言って、部屋に戻りシャワーを浴びた後、一人部屋の開放感にしばし浸る。
しかるのちに、久々に日本のニュースでも検索する。主に芸能関係だ。
政治経済関係は、よほどのことがあれば誰か何か教えてくれるだろう。
しかし、乃木坂の情報をくれる人はいない。
例外があるとすれば、会話ツールにハングアウトを用いているクレイジーな会社の同期1人だけだ。


そうこうしていると、あっという間に0時を回ってしまった。
不思議と気分は高揚しているが、明日に備えてそろそろ寝ようとベッドに入る。
広いベッド最高!今夜はぐっすり寝られるはずだ。