【南米モン遊記】4日目

①宿〜セントロ(旧市街)散策〜長距離バスターミナル


5時前に目を覚ます。6時までベッドの中でゴロゴロしたが、寝つけない。
どうも旅行中は、ショートスリーパーのようだ。
寝るのはあきらめて、着替えて洗面を済ませてから、荷物を詰め込む。
(言うまでもなく、タオルや洗面用具なんてものは、宿についていない)
7時前には出発の準備は整った。
隣で寝ているオーナーを起こす。もう起こして悪いという気は全くない。
長距離バスターミナルは、中心部から離れており、市内バスに乗らないと辿り着けない。
長距離バスターミナル行きの市内バス乗り場を教えてもらわないといけない。
今日から22時間かけて、今回の旅のメインであるイグアスの滝に向かうのだ。
オーナーは寝ぼけ気味にむにゃむにゃ言う。
「駅の前の通りで、『長距離バスターミナル』という表示のバスに乗ればいいんですよ」
慣れない土地を個人旅行した人ならば、分かると思うのだがこういう情報は、確実なことを教えてもらわないと、とても不安になる。
教えてもらう側にとっては、この言葉だけでは不十分だ。
例えば、「駅の前の通り」といっても、どちら方面に向かうのか、『長距離バスターミナル』はポルトガル語でなんというのか。
どうも、そのあたりの配慮がこのオーナーにはまったく足りない。
というか全ての配慮が足りない。ただのラフなおっさんだ。
自分の地図を取り出し、
「正確な位置に〇印をつけて、どちら行きか教えてください。あと『長距離バスターミナル』の綴りを現地の表記で書いてください。それから、何分に1本くらいですか?バス13:30発なんですけど、何時に着けばいいですかね?」
矢次早に質問する。ここでようやくおっさんはベッドから起き出して、頭を働かせ、対応してくれた。大体11:30に宿を出れば大丈夫、だということだったので、11時に出ることにした。念のため。
それでも、あと2時間以上はある。


最後にもう一度、旧市街を散策することにした。本当は「シティ・オブ・ゴッド
の舞台であるファベーラ(スラム街)にも行ってみたかったが、今回はあきらめる。
そこまでのリスクは犯せない。
今日は日曜日なので、幻想図書館はあいていないが、ガイドブックに載っていて、
まだ行っていないところがある。
街に繰り出す前に、宿近くのジューススタンドに立ち寄る。
3度目だ。もう顔なじみだ。「ボア・ダルジ!(こんにちは!)」と声をかける。
ようやく覚えたポルトガル語だ。おっちゃんは笑顔で、
「今日はなんだい?」みたいなジェスチャーをしてくる。
今日はバナナを指さした。了解とばかりに、そのバナナをミキサーにかけてくれる。まったく期待していなかったが、これは美味しかった。


行ったのは2つの教会だったが、やはり教会自体はヨーロッパのものと同じだ。
しかし昨日も思ったが、黒人や混血人がミサに集う様は、新鮮だ。
リオの街並みもこれで見納めと思うと、多少寂しい。
怖い目に合わなかったこともあるが、何か聞くと、みんな陽気で親切にこたえてくれる。
あと、街中の褐色の肌のあんちゃんたちは、大体かっこいい。
背が高く、肉体が引き締まっていて、堀が深い顔だちは、とても精悍だ。
例えばクリロナをイメージしてもらいたい。あるいは、やや日焼けしたフェルナンド・トーレスだ。シリア訛りの英語を駆使する日本の某バンドのボーカルとは違うかな。
そんな容姿で、愛想がよくて、物腰が柔らかい。日本の女性ならばイチコロだろう。


11時に宿に戻り、預けていた荷物をピックアップして、挨拶もそこそこに宿を出た。
長距離バスターミナルへは、余裕をもって行けた。超絶不安だったが、乗り場と思しきところに着いた直後、『長距離バスターミナル』と表示された市内バスが到着したからだ。
イグアス行きのチケットは、上手くネット予約できているか不安だったが、こちらも大丈夫だった。1時間くらい余裕が出来たので、少し贅沢してスタバでコーヒーを買う。スタバの価格は万国共通だ。ここでようやく、思索にふける余裕ができた。イグアス以降の予定も詳細に詰めた。


②イグアス行きの長距離バス


バスは時刻通りに出発した。南米のバスは高いが、快適だと聞いていた。
確かに高い。130ドルもした。日本よりも高い。しかし、快適かといえば特にそんなこともない。これに22時間はつらいが、仕方ない。


乗ってみるとこれが予想以上にダメで、エアコンが壊れてて、昼間は暑く、夜はとても寒い。おまけにトイレが壊れて、臭い。外れをひいてしまったようだ。
バスの中で白人の旅行者と知り合った。オーストラリアから来た20歳とイギリスから来た20代後半の若者たちだ。知り合った、といっても暇なときにちょっと会話したくらいだ。
「いきずりの友人」ってやつです。会話の内容も、昨夜の宿と違って、極めて健全だ。
地元では何をしているとか、今まで行った場所はどこか良かったか、とか。
どちらかというと、普通はこういう話が先行すると思うのだが、あの宿に泊まった連中は、あまり観光に関心がないようだったから仕方がない。


たまに会話をしながら、暑かったり、凍えたり、臭かったりの車中、最初のうちこそ景色を楽しめたが、暗くなるころには、それも飽きてきた。4時間もかわりばえしないものを見てれば、飽きるだろう。次の日の昼まで車中かと思うと、気が滅入ってくる。今回の旅は、とことん乗り物運がないようだ。
ここからイグアスに着くまでは、たまに休憩スポットに立ち寄るくらいで、取り立ててレポートすることない。


代わりに、某広告代理店のマーケターよろしく、「旅人」と「旅行者」の違いを考察してみようと思ったが、書いてみたら、大した内容じゃないのでやめた。
要は、旅が生活の基盤になっている「旅人」は、特定の社会活動が生活の基盤になっている人とは、常識がズレてしまう、ということです。
だから「旅人」ばかりが集まる宿は、居心地が悪くなるので、会社の休暇で旅行しようと思っている人には、おすすめはしない。逆に、相手もオレたちと話していると居心地が悪いと思う。ただ、長期旅行者でも「学生」はまた別のカテゴリーである。期間限定の「旅人」なんだから。