本格的に気持ち悪くなってきました(オレが)



今まで年下の女性、特に女子高生だの女子大生だのといった学生なんぞ、には全くもって興味が無かったのに、近頃なぜだかやけに気になるようになってきた。多分にオレが急速おとっつぁん化していることが原因なのだろうけど、どういう心理的カニズムが働いているのかはさっぱりわからぬ。不可思議極まりない。不可思議ではあるが、気になってきちゃったものは仕方が無い。あまりに「若い女性がいい!」などと主張するのも如何かとは思うけど、ほら、三浦のハルマ君だって、あれでしょ、なんか高校の教師役やって「およよ、およよ」とか言ってるうちに生徒とカマしちゃったりしてんでしょ。ハルマ君だってやってんだし、オレなんてこの先の人生も短くなってきたし、やっぱり自分の感情には素直に従いたい。感情を塞いで生きて何が人間か。何が人生か。よーし!自分に素直に生きるぞ!声高々に叫ぶぞ!
オレはぁ、若い子がぁ、好きだぁ!女子高生とかも、まあ、
ギリギリセーフだ!おや、なんですか、この輪っか。え、手錠?ウソ?







ガールフレンド(全5巻)※画像はなぜだか4巻


で、最近つくづく「高校のときに恋愛しときたかったな」と後悔しているオレに劇薬となったのがこの本。
大学生の頃、時間を持て余して読んだマンガ雑誌にたまたま載っていたのが初対面。
可愛いらしい女子高生(絵がキレイ)が恋して、ライトにファックしちゃう姿に「おやまあ羨ましい、あらまあ恥ずかしい」などとモジモジしていたのだけれど、読んだ後に残ったのは得体の知れない「うわ、なんか気持ちわりい!こえー!」っつう胃の中をゲジゲジが這い回ってるかのようなおぞましさ。
それから数年経った今、その感覚がフラッシュバックしてまた読みたくなった。すんごく読みたい。読みたい!読みたいったら読みたい!もうガマンできない!女子高生大好き!いや、それ意味違う!
……でもタイトルも、読んでた雑誌すら覚えてない(ヤンジャン連載だったそうで)。そんなこんなのなんやかんやで地道な作業の末に奇跡の再会を先日果たすことができました。
さすがに前に比べれば冷静に読み、時々「あふう」と叫びフトンを被り頬を赤らめニヤリと半笑いを浮かべたりしていると、「得体の知れないおぞましさ」の正体が少し見えたような気がします。


恋愛に定型なんて無いんですよね、まあオレよく知らないけど。(経験乏しいから!)
ただ、フォーリンラブな二人が思い思われ恋焦がれ、雨の日だって風の日だって、ただただ一途に互いを愛し、ぎりぎりぎりりと胸掻き毟り朽ち果てました。ああ小糠雨降る新宿の午前三時。なんてのは恋愛の建前形じゃないですか。恋愛かくあるべし、みたいな幻想。
実際のところ、恋愛のホンネのところはもっと奔放でしょう。あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。通底するのは「まあいいじゃん」って気持ち。恋人がいたって他にちょっと「アラ、いいですね」な人がいれば目移りしちゃう。男も。女だって。
この本はそういった恋愛のフニャフニャした「まあいいじゃん」「しゃあないじゃん」という部分を見せつけてくれます。『お前の憧れてる恋愛なんてただの綺麗事でしかねえんだよ、ドーン!』と。女だって自由気ままにヤッちゃうんだよ、と。何が釈然としないかって、出てくるどのカップルもお互いに本当に好きなのかどうか結局よくわからないところ。まあ本当に好きってどういうことかオレよく知らないけど。(経験乏しいから!)


読めば若々しい恋愛に甘酸っぱい気持ちになるけど、思い通りにならない、知る由もない恋人の心の暗くて黒い部分を目の当たりにして背中が寒々としてしまう。でもまた読む。読んで「うひい」なんてときめく。んで、「あひい」って怖くなる。
恋愛したくなる気持ちと、やっぱり恋愛怖いという両方の気持ちを巻き起こし、混乱の渦に叩き込む。そう、これは悪魔の書だ。恐ろしい書なのだ。


ちなみにアマゾソのレビューも評価は色々。個人的に注意喚起しますが、こんな性格もよくて可愛らしくてヤリヤリの女の子は実在しません。(そういや女性らしきレビュアーが「出てくる女の子性格悪すぎ」なんて書いてて、それも面白かった)
そこんとこ勘違いすると、ついつい女子高生のスカートの中に無意識で手を突っ込んで一発退場。今年の桜は高い塀の中で見ましたお母さんそちらはまだ冬ですか、なんてことになるのでシクヨロ!(網走刑務所で冷たい床に転がりながら)